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(最上段から黄波戸方面を望む)
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(桟敷の通路)
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花の名前はわかりませんが、赤崎神社桟敷の中に唯一咲いていました。
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(赤碕神社)
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(巣林子近松翁之碑)
「巣林子」(そうりんし)は近松の号―昭和8年建立。
江戸時代の浄瑠璃作家、近松門左衛門(1653〜1724、本名・杉森信盛)は、同時代の松尾芭蕉や井原西鶴と共に三代文豪といわれてきた。
古くから、この近松が東深川江良で生まれたという伝えがある。長府藩の家老椙杜広品がわけあって江良に住んでいたとき、身の回りの世話をしていた女性との間に生まれたのが近松であるという。江良にははまも、この近松屋敷が伝えられている。
赤崎神社桟敷(終わり)
今、やっと脚光を浴びて近松門左衛門づけて脚光を浴びて、これが全国にも吹聴された。歴史というものは必ず真実が現れるものです。
萩焼の世界でもいろいろな歴史の捏造というようなことがありますが、やはり皆さん今日考古学が非常に発達して、泥を掘って昔のことが段々わかってきましたね。次々と真実というものは現れるのです。
昭和38年に重要文化財に指定になってそれを祈念して冊子を作りました。この冊子に各学会の要望書とか陳情書とか掲載しているのですが。
レジュメで山口県地方史研究という雑誌に、地方史学会で発表したときの要旨を書いております。それかお手許にありますので暇なときにどういう規模でどういうものか見ておいてください。
私は、議会と市を相手に、41名の桟敷の所有者が非常にバックアップして、つまり、私は41名の連判状を作って、桟敷の使用権という、占有権という権利、これがあったから勝てたのです。
これがなければただ学問的な立場だけではとても、「よしわかったぞ」というようなそういう議会でもなかったし、執行部でもなかった。これは一つの法的な権利を持っていますから法的な強制力がある。これを持っているから強かった。
41名の方がたが「がんばれ河野。」と言うわけです。印判を私に預けて下さった。それで結局勝てたのです。いろいろいきさつもあるのですが、春に知ってこの運動を起こして、山場がずっと半年続きまして、結局12月22日議会代表の議長、総務委員長、経済委員長、文教委員長それに執行部が最後の妥結をした。
喧嘩というものは、最後は妥結しなければならない。といようなことは36歳の私にはわからない。100%残せ。しかしそうはできない。90%で妥協した。
桟敷の西側の端っこの極一部を削って市の面子をたてました。そうして、握手したのです。その途中で、正明市の祭組は地芝居、三番叟を奉納するのです。ですから舞台は正明市の祭組が管理するのです。桟敷を潰さんことであれば俺達はこの小屋を撤去する。財産として売ってしまう。
12月10日に正明市の祭組の人達がとう鍬やらスコップやらつるばしを持って桟敷を壊す。私はなんとして止めなければと、その頃になったら市の教育委員会も文化財を守らなければならないということで、否応なしにそういうになってしまったわけです。保存運動が成功したわけです。各学会をあげて応援したくれました。教育委員会というものは文化財を守るのが仕事です。最初は反対しておった教育委員会もいやいやながら思い腰を上げたのです。
当時の教育長が、私と祭組の連中がつるはしで対峙してい。NHKからテレビがそれを撮りに来ている。教育長が中に入ってどうにか治った。そうして12月22日に市議会と最後の妥結をした。
その途中舞台小屋を解いてしまった。今はもうありません。写真は残っています。この舞台小屋は当時、保存運動の最中にその筋の専門家に見てもらいました。当時、東京国立文化財研究所の戸部銀作さんに見てもらいました。
この舞台は元文・宝暦当時の建築様式を備えている。そうたいした立派な物ではないが、農村の百姓達が舞台として造ったものとしてまあまあである。
だから保存の価値がある。正明市の祭組が大工さんに売ってしまった。当時2万円で売った。買った大工さんは開作の大工さんです。
何時かこれを復元しなくてならないと考えて、昭和37年に私は3万円で買い取った。おもな用材だけを買っておけば復元出来る。材料が長いから私の檀那寺の善正寺さんの床下へそれを預けた。長い間置いていましたから段々虫が食ってきた。とうとう役に立たなくなった。
それが今でもあれば復元するのに非常にいいわけですが、しかし、材料がなくても設計図があるわけです。復元しょうと思えばできるのです。文化庁もそれぐらいは認めるはずです。今後、市が本腰を入れれば当時の舞台が復元出来、それを記念して、この度やったような村芝居を全国から集めて毎年できるのです。恒例化していけば非常にいいことです。
皆さんも是非協力してください。(終わり)
みすゞさんの詩
いいこと
古い土塀が
くずれてて、
墓のあたまの
みえるとこ。
道の右には
山かげに、
はじめて海の
みえるとこ。
いつかいいこと
したところ、
通るたんびに
うれしいよ。
(詩はJULA出版局より)
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