
(観察する尾崎真吾画伯)
7月7日、ウェーブで買い物する際に尾崎先生に出合い、かねて希望していました似顔絵を本日お願いしました。
弟は、いつも「偶然な出来事などない、必ず必然な出来事である」と言っています。
七夕の日に尾崎先生に会えたことこそ、必然な出来事と思い、昼から電話で確約し、13:00から描いていただきました。
目線は先生の顔を見るようにと指示されました。
観察する目は鋭く、穏やかな表情は一変し、絵の基本は、観察することにつきるということを尾崎先生の動作で教えられました。

(真剣に描く)
最初は、普通の表情で描いていただいていましたが、私は笑顔の表情を描いて欲しいとお願いしたために、先生に大変ご迷惑をおかけしました。笑顔の顔は、先ず目から異なると言われました。
笑顔を希望したのは、まじめな顔では怖い顔になると心配したからです。それからが大変でした。
郵便局時代は、毎日鏡を見て笑顔の訓練をしていたので、自信があったのですが30分以上笑顔を維持するのは、並大抵の努力ではないことを痛感しました。おかげで、顔の筋肉疲労を起こしました。

(擦筆する)
擦筆(さっぴつ)とは、パステルは炭素を含んでいるので、炭の粉を伸ばす作業です。時には、自分の指で伸ばすことも行われます。理由はパステルも一部油を使用しているし、人間の指も脂があるから、うまく合致し炭の粉が良く伸びるそうです。
擦筆は力強いタッチで描かれ、絵が完成に近ずいています。
(完成は1週間後を楽しみにしたいと思います。)
尾崎先生は、ミタント用紙(キャンソン社発行)にパステルでポートレードを描き、ある時は、眼光鋭く、観察は瞬時に、そして素早く描き、また観察するの繰り返しです。
途中で笑顔の顔をお願いしたので、作成に長時間をようすることになり、尾崎先生に大変ご迷惑をおかけしました。
おかげで、いろいろなことを先生にお尋ねすることができ、手帳にしっかりとメモすることが出来ました。
また尾崎先生の描かれている様子を写真にすることが出来き、こんなモデルは初めてではないかと思います。
ずいぶん、集中力のじゃまをしたのではないかと反省しきりです。尾崎先生はプロです。そんなことを全く気にされなくて、ひたすら描くことに専念していました。
(尾崎画伯が描いた鯨を素材にしたTシャツと鯨祭りの赤褌)
尾崎先生はこの後、アメリカに10日間、そして3月間長期不在になるとお聞きし、先生との出会いは、決して偶然ではないことを痛感しました。
いつも尾崎先生と出会うたびに似顔絵をいつ描くかを話していたのですが、今日とうとう実現できたのです。私なり、今日出来なければ、当面無理だと判断したのです。7月7日に神様が準備していたのでないかと思いました。

(尾崎画伯が描いた鯨の絵)
尾崎先生が描いたこの鯨の絵が大好きで、この絵を購入することを約束していたのです。この絵がTシャツになっていましたので直ぐ購入しました。このTシャツで「くじら資料館」に勤務したいと思っています。
この絵は、尾崎先生が金子みすゞの詩を素材に数多く描いています。毎月の長門市広報にも描かれ、毎回楽しみにしています。
このくじらの絵は、河野良輔先生著「長州・北浦捕鯨のあらまし」の本にも掲載されています。
この絵は、みすゞさんの詩「鯨法会」をイメージしたものとして描かれています。
※尾崎真吾先生のプロフィール
(尾崎真吾先生の似顔絵)
1944年、山口県に生まれる。米国カンザス・フォートヘイズ州立大学大学院美術学部修士号修了。1971年、全国コマーシャル協議会・フィルムフェスティバルにてグランプリ賞、イラストレーション賞受賞。1972年、カンヌ・フィルムフェスティバルにて銀賞(広告部門)受賞。アニメーションの分野で頂点をきわめ、広告、イラストレーションにおいて幅広く活躍する。米国留学後は、1994年のキヤノンコピーCM鉛筆画、2000年、郵政省「社会を明るくする運動50回記念」切手の原画作成、リアルな表現を用いた作品を精力的に発表している。
2002年、金子みすゞ海とかもめの鉛筆画の本をJURA出版局より発行。金子みすゞの地方切手の原画を作成する。
金子みすゞさんの詩
鯨法会
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁夫が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまで、ひびくやら。
(JULA出版局より)

