2009年03月31日

くじら資料館長のブログは終了しました

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 昭和59年から昭和61年の2年間、福岡市百道の「九州郵政研修所」で将来の幹部候補生訓練の教官をしていました。
 2年間で383名の訓練生と共に学びました。一番苦労した研修生達の想い出はたくさんあります。
 教官として全力で訓練生と向き合っていた時に、一番大切なものを彼らから学びました。
 昨年、その彼らが「くじら資料館」でクラス会を開催してくれました。中本和秀氏は仕事の都合で参加できなかったのですが、本日自宅に一通のレタックスを届けてくれました。

 彼は、昨年大阪市での研修会で私を講師として迎え入れてくれました。彼等の期が大問題をおこしましたが、彼等は個性集団でした。そんな彼等にみすゞさんの詩「私と小鳥と鈴」をプレゼントしたいと思います。
 
  平成18年5月17日に「長門くじら資料館長ブログ」を立ち上げて、1,366回の掲載をしてきましたが本日で「くじら資料館長」を退職しましたので、終了させていただきます。
 
 長い間ご愛顧いただき誠にありがとうございました。おかげで訪問者数約130,000人、ページビュー数約390,000件の皆さんに支えられて今日まで来ることができました。ありがとうございます。
 
 平成21年3月31日(火)群馬県からお越しのお客様対応、早川くじら資料館長の事務引継も終えて、「讃譽上人のお墓」「鯨鯢漁鱗群霊地蔵尊」「田屋の六地蔵尊」をお参りし、自宅に帰ると一通のレタックスが届いていました。
 
 夜は子供たちから50年間働いたことの激励等を電話して来ました。母と妻とでささやかにワインで祝しました。

 約5年間「くじら資料館」の館長の仕事を終えると同時に「長門くじら資料館長ブログ」も卒業することになりました。高校卒業以来50年間働いてきました。その内25年間は単身生活でしたので、これからは時間の流れに身を託しながら、のんびとゆっくりしたリズムに心がけて生きたいと思います。

 平成21年4月1日から「金子みすゞさんの心の故郷青海島」をスタートします。「長門くじら資料館長ブログ」で、シリーズで掲載が終えていないものも、引き続き掲載していきます。何故ならば、3月末日まで全てを完了するには、自分の眼が耐えられませんし、杜撰な記事になることを避けるためです。

 長い間、私のブログをアクセスしていただきましてありがとうございました。
 





                         みすゞさんの詩



                         私と小鳥と鈴と





                         私が両手をひろげても、
                         お空はちっとも飛べないが、
                         飛べる小鳥は私のように、
                         地面を速くは走れない。

                         私がからだをゆすっても、
                         きれいな音は出ないけど、
                         あの鳴る鈴は私のように、
                         たくさんな唄は知らないよ。

                         鈴と、小鳥と、それから私、
                         みんなちがって、みんないい。



(詩はJULA出版局より)
posted by 館長 at 23:34| Comment(4) | TrackBack(0) | くじら資料館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

通浦の最後の日

群馬県から来館(21,03,31) 036.jpg 平成21年3月31日(火)群馬県からお越しのお客様34名を「くじら資料館」→「鯨墓」→「海上アルプス」を案内した後、再び「くじら資料館」に帰り、最後の会計を処理した後、新しい「くじら資料館」館長の早川義勝氏と事務引継を終えて、向岸寺の「讃譽上人のお墓」「鯨鯢漁鱗群霊地蔵尊」にお参りし、「通支所・通公民館」に挨拶後、田屋の「六地蔵尊」にお参りした後、長門教育委員会に挨拶に伺い、自宅に帰りました。

 午後4時過ぎ、湯本温泉に入浴しました。こんなに時間に入浴したのは、久しぶりです。晩は、50年間の仕事を祝し、母と妻とで祝いました。


 明日からは、楽しい日々が過ごせるように日々時間を有効に活用したいと思います。私の心は50年間働いた充実の日々に感謝し、今後はゆっくりと時間の流れを愉しみたいと思います。

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 「鯨鯢漁鱗群霊地蔵尊」が、平成16年12月26日の「北海道新聞」に掲載されて以来、ひっそりと141年間、向岸寺霊廟内に佇んでいた地蔵尊に光が差し込んできました。
 「鯨鯢漁鱗群霊地蔵尊」の笑みに心癒されました。



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山口県以外に旅をする時は、「鯨鯢漁鱗群霊地蔵尊」「讃譽上人のお墓」「田屋の六地蔵尊」に必ず「安全」の祈願をして出発しました。





 向岸寺霊廟内の「讃譽上人のお墓」の存在を平成18年の1年間捜し求めていました。平成18年12月27日についにその場所を明らかに出来ました。長門郷土文化研究会の19年会誌に14ページにわたって掲載しました。
群馬県から来館(21,03,31) 042.jpg群馬県から来館(21,03,31) 040.jpg群馬県から来館(21,03,31) 043.jpg
 本日、讃譽上人の墓前に「命の大切」を伝えることが出来ました報告しました。
 くじら資料館長として「讃譽上人」のことを多くの人に伝えることが出来たことは幸せでした。
 通小学校が、山口県の道徳教育指定校になり、多くの参加者に7分の時間を頂き、讃譽上人のお話を出来たことは一生の想い出になると思っています。


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 田屋の六地蔵尊にもお参りいたしました。4月1日から、毎日自分の眼の快復を祈願したいと思います。

 平成16年1月1日〜12月31日の一年間、孫の優馬君のために毎日六地蔵尊にお参りしました。おかげで優馬君は元気でがんばっています。



                        みすゞさんの詩


                        あと押し



                        車のあと押し
                        せっせっせ。
                        どっこい、重いぞ
                        上り坂、
                        汗が、ぽっつり、
                        地にしみる。

                        車のあと押し、
                        せっせっせ。
                        ほらほら速いぞ
                        下り坂、
                        みちの小石が、
                        縞になる。

                        車のあと押し、
                        せっせっせ。
                        下ばっかりを
                        みてゆくと、
                        真紅な薔薇が、
                        みつかった。


(詩はJULA出版局より)














posted by 館長 at 22:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 通浦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「くじら資料館」最後の仕事

群馬県から来館(21,03,31) 004.jpg群馬県から来館(21,03,31) 006.jpg 平成21年3月31日(火)快晴、連日の花冷えが嘘のような暖かい春日和でした。群馬県から34名の女性群が「くじら資料館」にお越しになりました。私は、シーサイドスクェアで大谷山荘を出発したお客様をお待ちに、「くじら資料館」まで大日比のお話をしながら「くじら資料館」まで案内をしました。
                 
群馬県から来館(21,03,31) 009.jpg群馬県から来館(21,03,31) 020.jpg 「くじら資料館」では、4月1日から「くじら資料館」館長早川義勝氏も来ていただき、私の説明が終了後早川館長に「通鯨唄」を唄っていただきました。朗々とした声で高らかに唄われ、思わず私自身涙が出ました。「くじら資料館」で「通鯨唄」が唄われたのは、初めてのことでしょう。

 早川氏の「くじら資料館」の館長を務める心意気が伝わってきました。早川義勝氏を推薦したことは、間違いなかった確信した涙でした。通鯨組の子孫で18代の早川義勝氏の前途を34名の群馬県の人が聴いてくれました。盛大な拍手がやみませんでした。

                
群馬県から来館(21,03,31) 018.jpg群馬県から来館(21,03,31) 019.jpg 長門市には、古式捕鯨の里は5つあります。通鯨組・瀬戸崎鯨組・黄波戸鯨組・津黄立石鯨組・川尻鯨組がありましたが、幕末明治時代に大変苦労し、故郷から追われるように出て行きました。「川尻鯨組」の子孫は、一人も残らず故郷を後にしました。

 通浦では、早川家だけが今も故郷に住んでいます。その早川家18代が「くじら資料館」の館長として就任されることは極めて重要です。
  
 先代の17代目早川源一氏は、「くじら資料館」建設の際には、「鯨の道具類」に収集にとても積極的に協力されました。140点の鯨の道具が「国指定重要有形民俗文化財」になったのは、早川氏の協力と河野良輔先生のおかげです。
 
 天国で、早川源一氏と河野良輔先生が喜んでお話をしている姿が浮かびます。この日の早川義勝氏は、本当に圧倒されました。早川館長おめでとうございます。

 「鯨墓」の説明も早川氏に依頼しました。早川氏は丁寧に説明していました。

                 
群馬県から来館(21,03,31) 034.jpg群馬県から来館(21,03,31) 028.jpg群馬県から来館(21,03,31) 031.jpg

                              



 
 日本で海がない県は、群馬県・長野県・山梨県・栃木県・岐阜県・滋賀県・埼玉県・福島県でしょうか、「くじら資料館」「鯨墓」案内後、海上アルプスをご案内しました。
  群馬県の方々は、日頃周りには、海がありませんので、とても満足されました。私とって最後の仕事になりました。



                         みすゞさんの詩



                         私のお里



                         母さまお里は
                         山こえて、
                         桃の花さく
                         桃の村。

                         ねえやのお里は
                         海越えて、
                         かもめの群れる
                         はなれ島。

                         私のお里は
                         知らないの、
                         どこかにあるよな
                         気がするの。



(詩はJULA出版局より)



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くじら資料館周辺について

鯨墓周辺(21,03,309) 020.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 019.jpg 平成21年3月30日(月)晴れとはいえ、風が強く少しばかり寒いと感じました。本来なら、本日で「くじら資料館」勤務も終わりですが、明日朝一番群馬県から34名の皆様がお越しになりますので、説明いたします。
 

鯨墓周辺(21,03,309) 021.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 022.jpg 高校卒業後、50年間働いてきました。自分でもよくがんばってきたと思います。その内の25年間は単身赴任でした。私達双子の兄弟が3歳の時に父が戦死したので、母は戦後二人の子供を育てるために大変苦労しました。その母も88歳の米寿を迎える年になりました。


鯨墓周辺(21,03,309) 012.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 015.jpg そんな母を一人暮らしをさせないために、単身赴任の道を選択しました。そんな自分に、キヤノン一眼デジカメ(EOSkiss×2)を自分の褒美にしました。25年間留守を守ってくれた妻には、これからゆっくり自分で出来る感謝の気持ちを込めて考えて行動したいと思います。


鯨墓周辺(21,03,309) 014.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 011.jpg
 そのカメラを使って、5年間お世話になった「くじら資料館」の周りを写真にしました。

 あらためて、私は「くじら資料館」の周りには、300年以上の「くじら文化」存在しているすばらし環境に恵まれていたことを痛感しました。 

鯨墓周辺(21,03,309) 009.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 008.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 006.jpg
「常夜燈明」には、讃譽上人の足跡が遺されていました。
「常夜燈明」からみえてくる仙崎湾と青空でした。






鯨墓周辺(21,03,309) 004.jpg鯨墓周辺(21,03,309) 003.jpg
「鯨墓」から見た通浦の海と鯨墓の道です。
自分の仕事場から歩いて1分の所にあります。





鯨墓周辺(21,03,309) 002.jpg
3年間「くじら資料館」で勤務した岡廣美さんが、わざわざ可愛いお花とお菓子を持参して来られました。彼女は、現在長門市立図書館に勤務しています。
 朝から、地域の方々が挨拶に来られて慌しく過ごしました。中山文夫氏も来られて、最後のパソコン関係を処理してくれました。
 4月から1年間かけて、通浦の祭りを中心に写真に撮り、郷土文化研究会の会誌に掲載したいと思います。



                         みすゞさんの詩



                         足ぶみ





                         わらびみたような雲が出て、
                         空に春が来ましたよ。

                         ひとりで青空みていたら、
                         ひとりで足ぶみしましたよ。

                         ひとりで足ぶみしていたら、
                         ひとりで笑えて来ましたよ。

                         ひとりで笑ってして居たら、
                         誰かが笑って来ましたよ。

                         からたち垣根が芽をふいて、
                          小径にも春が来ましたよ。



(詩はJULA出版局より)



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2009年03月30日

高速料金1、000円の成果

くじら資料館(21,03,29) 004.jpgくじら資料館(21,03,29) 003.jpg 平成21年1月29日(日)花冷えする一日でしたが、「くじら資料館」のお客様の状況はいつもの日曜日とは、異なるのです。
 日曜日は、青海島の東端に位置する「くじら資料館」には、午後3時過ぎにはあまりお客様はお越しにならないのですが、本日は朝から閉店まで終始お客様がお越しになりました。
 つまり本日は、高速料金1,000円の影響について、青海島の東端の通浦にも影響があったといえます。いろいろな県の車ナンバーがありました。
くじら資料館(21,03,29) 007.jpgくじら資料館(21,03,29) 005.jpg その中で、大分県から5人のお子さんと「くじら資料館」にお越しになりました家族一家の写真と神奈川県からのお越しの親子の写真を掲載してみました。

 5人の子供のお母さんは、素敵なお母さんです。お子さんに、差し上げた「鯨像」の折り紙の折り方をお母さんとお子さんが真剣に聴いていました。お子さんの眼は輝いていました。素敵な親子に接して50年働いた記念に購入したキャノン一眼レフカメラの記念すべき最初の映像となりました。
 お母さんと子供たちの表情が全てを表しています。5人のお子さんに乾杯!

くじら資料館(21,03,29) 010.jpgくじら資料館(21,03,29) 011.jpgくじら資料館(21,03,29) 012.jpg






 5人のお子さんの素敵な表情、自然な親子の姿に接しとても元気をいただきました。ありがとうございました。
くじら資料館(21,03,29) 015.jpgくじら資料館(21,03,29) 016.jpgくじら資料館(21,03,29) 018.jpg






 神奈川県からお越しのお客様です。くじらに食われた親子です。


くじら資料館(21,03,29) 019.jpg
休みを利用して地元に帰ってきた、「くじら資料館」近くに住む大阪さんのお孫さんです。
 とにかく元気がいい兄妹です。こちらまで元気をもらいます。かくして、高速利用金1,000円の一日は終わりになりました。
「くじら資料館」勤務も、あと2日です。最後の日まで全力で尽くすのみです。





                 みすゞさんの詩



                 わらい



                 それはきれいな薔薇いろで、
                 芥子つぶよりかちいさくて、
                 こぼれて土に落ちたとき、
                 ぱっと花火がはじけるように、
                 おおきな花がひらくのよ。

                 もしも泪がこぼれるように、
                 こんな笑いがこぼれたら、
                 どんなに、どんなに、きれいでしょう。





(詩はJULA出版局より)
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2009年03月29日

くじら資料館最後の休みの日

桜(21,03,27) 046.jpg桜(21,03,27) 047.jpg 平成21年3月27日(金)午前中病院に行き、昼から祖母の藤井千代の命日に母と大寧寺にある墓参りをする。満開の大寧寺の桜を写真にしました。

 墓参り後、ルネッサながとの運動公園に、母のリハビリを兼ねた歩くのを付き添う、高校卒業して50年間働いてきました。その内25年間単身赴任をしてきました。
 これからは、天気がいい日は母と運動公園で歩くことをサポートしたい、最後の親孝行を実践したいと思います。

 桜(21,03,27) 048.jpg桜(21,03,27) 050.jpg桜(21,03,27) 051.jpg

大寧寺の桜は、満開でとても見ごたえがありました。
 春は桜、秋は紅葉ですばらしい所です。



 桜(21,03,27) 058.jpg桜(21,03,27) 054.jpg桜(21,03,27) 055.jpg

長門市内には、すばらしい所だたくさんあります。
退職後は、そんな市内のすばらしい所を写真にしてみたいと思います。



桜(21,03,27) 062.jpg桜(21,03,27) 061.jpg桜(21,03,27) 063.jpg
母とリハビリの歩行を手伝った後、本日福岡からお越しになりました。
 「草庵」の方々を三師霊廟内の法尼のお墓をご案内し、三師霊廟内から見る弁天島の風景です。

 その後、王子山公園から、仙崎の町を見ていただきました。右の写真は、王子山公園の桜です。




                       みすゞさんの詩



                       王子山



                       公園になるので植えられた、
                       桜はみんな枯れたけど、

                       伐られた雑木の切株にゃ、
                       みんな芽が出た、芽が伸びた。

                       木の間に光る銀の海、
                       わたしの町はそのなかに、
                       龍宮みたいに浮かんでる。

                       銀の瓦と石垣と、
                       夢のようにも、霞んでる。

                       王子山から町見れば、
                       わたしは町が好きになる。

                       干鰮のにおいもここへは来ない、
                       わかい芽立ちの香がするばかり。


                                          (詩はJULA出版局より)
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2009年03月28日

くじら資料館だより最終号発行

 
 平成21年3月23日(月)「くじら資料館だより」最終号を発行いたしました。パソコン
画面
いっぱいでご覧になる方は、「古式捕鯨の里 通」の「
くじら資料館」にアクセスして
下さい。
 平成16年7月1日「くじら資料館」館長に就任。平成16年9月から
「くじら資料館だより」を発行してきましたが、これが最終号です。

 「くじら資料館だより」は、毎月1回自費で発行し、通浦の自治体の班単位で
閲覧していただきました。

 
 私は、平成21年3月31日で退職することになり、今回が最終号になりました。

最終号213.jpg 表紙は「正福寺の桜」―通鯨組を加護した薬師如来の寺
にしました。

 正福寺の由来について、「防長寺社由来」から、引用いたし
ました。

「正福寺」の存在は、通鯨組にとって大切な
場所です。
 

 

 

最終号214.jpg
平成21年2月27日(金)通小学校3〜4年生が、通浦を
ガイドしました。
この1年間児童達は、真剣に学んできました。
 当日は、自分の得意な場所でしっかりと学んだことを
説明しました。
児童達は、自分たちの故郷を学んだことで、通浦のすばらしさを
体験したと思います。

 「青海島ボランティアガイド」の皆さんは、この日の為に
通小学校と連携をとがて深め無事終えることが出来ました。

 田中先生のおかげで、説明場所のところで責任者と記念写真をバッチリ
撮ってくれました。
今回は、田中先生のご好意で写真をお借りいたしました。
 思えば、昨年夏暑いときに通浦を吉田・田中先生を通浦を案内したことを
思い出しました。
ここまで生徒たちが立派に説明できたことは、先生たちのご努力があった
おかげだと思います


最終号215.jpg
 当日は、13:30通小学校をスタートし→13:50 住吉神社説明 
→14:10くじら資料館→14:50 鯨墓→15:10 ヒタキバの
六地蔵尊
→15:40向岸寺→正福寺16:00→早川家16:15→現地解散

 児童達は、それぞれの場所で勉強をした成果をきちんとガイドしてき
ました。
通浦は、児童達が誇れる場所がたくさんあります。児童達は、故郷を
学ぶこと大切なものを知ることが出来たと思います。


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 「くじら資料館だより」に細田長次郎先生の写真を掲載したのは、
平成19年5月1日第35号から実施しました。
 昭和25年前後の通浦の児童達を中心に、通浦の風景が撮影され
ていました。
毎回、通浦の人たちは、「くじら資料館だより」の発行を楽しみにして
きました。理由は簡単です!細田先生の写真が見られることでした。
 写真が必要な人には、一枚100円で差し上げてきました。
細田先生
の写真は、通浦の風景と人情を児童の写真からメッセージとし
て伝わってきます。

 写真の内容もすばらしく、たくさんな元気をいただきました。

最終号217.jpg
細田長次郎先生は、4人のお子さんがあり、唯一女のお子さんが
入学前になくなりました。
 細田先生の児童に対するまなざしは、自分の女の子と
重ね合わせたのではないでしょうか。
 児童達の生き生きした写真は、戦後の活力あふるる通浦そのも
のでした。
 細田先生のアルバムの表紙に書かれている文字を掲載しました。
ただ一枚出征兵士の壮行会の写真がありました。
 これも昭和史に欠かせない歴史的な事実です。細田作品集の
中に忘れてはいけないものとして掲載しました。



最終号218.jpg
 5年間、多くの児童・生徒たちが「くじら資料館」を訪ねてくれました。
私は、児童・生徒に必ず伝えことは、2つありました。


○ 人間は、動物・植物の命を頂いて、生かされているので絶対に
友達等に「いじめ」をしないこと。


○ 両親や地域にとって、皆さんは宝です。絶対に自らの「命」を
絶たないでください。


 
 私は、児童・生徒たちからたくさんの元気を頂き、私自身は児童・生徒たちに、
真剣に対応しました。

最終号219.jpg
 ホームページ「古式捕鯨の里 通」をアクセスして、オーストラリア
クィーンズランド大学加藤久美博士が、二度通浦を調査に来られま
した。
その論文がイギリスのオックスフォード大学に保管されています。
世界遺産に「心の文化―命の大切さ」を主張されています。

 ドイツテレビ放送局が通浦を取材し、ドイツ・フランスで放映され
ました。
イギリスBBC放送局の取材・中国のテレビ取材もありました。


隣国の韓国からは、文化や見学等があり、台湾からも団体でお越しなりました。
 今野 勉先生は、二度通浦を取材し「金子みすゞふたたび」の本に「みすゞさんの
故郷は、仙崎・通・大日比・下関」と発表されました。
 
 「釣り情報」では、二度ばかり取材され、二度にわたって5ページにわたって掲載
されました。多くの雑誌や新聞等に掲載されました。


最終号220.jpg
 5年間、いろいろな方々に大変お世話になりました。私にとって
忘れられない出会いがたくさんありました。
 日本旅行株式会社、営業企画本部広島仕入課長センター
内藤正敬氏です。


 平成17年3月22日は、朝から雨が降っていました。内藤課長が
「くじら資料館」
にお越しになりました。内藤課長は、団塊世代の人々に団体旅行
でなく
夫婦単位での体験のツアーを企画したいから、くじら資料館で説明して欲しいという
要請でした。


 実体験ならば、今考えている「くじら文化通りマップ」に基づき通浦を歩きますかと
説明したところ、即座に「是非案内して下さい」と言われました。

 雨の降る中、一時間通浦を案内しましたところ、大変気に入られて、
今年の夏休みの
企画にぜひ取り上げたいといわれて帰りました。
早速ボランティアガイドの養成に取り組むことになりました。
ところが、一週間後に内藤課長が逝去されたとの情報が入り、愕然としました。
 
 くじら資料館で私と一緒に撮った写真が最期だろうと思い、遺族の方に写真・
くじら資料館だより・くじら文化通りマップを届けて欲しい旨上司に連絡しました。

 桑原所長は、まもなく通浦にお越しになり、通浦を共に歩き、この企画が実現
できました。
忘れられない人になりました。
 くじら資料館の事務室には、内藤課長と一緒に写った写真を
退職の日まで飾るつもりです。



 「古式捕鯨の里 通」のホームページを作成した中山文夫氏は、ソフトを使用せず、
一人で
手作りで完成させました。充実した内容は、地域が立ち上げたホームぺージでは、
最高の作品だと思います。

「くじら資料館だより」「通公民館だより」を発行の都度、更新していただいています。
ホームページ
「古式捕鯨の里 通」の管理人です。
 中山氏から、パソコン技術を教えていただいています。4月1日から、
「みすゞさんの心の故郷青海島」の
ブログ立ち上げにもご指導いただきました。

 「長門市くじら資料館長」ブログの立ち上げに、前通公民館主事村上公章氏に
積極的な協力をいただきました。

「くじら文化通りマップ」の作成にも、強力なご指導をいただきました。
 現在更新回数は、約1,350回、アクセス数は、130,000人の利用があります。
「古式捕鯨の里 通」と「通公民館主事のブログ」と「長門市くじら資料館長のブログ」
 三つが全世界に発信されました。

 毎月発行する「くじら資料館だより」の4ページの中の圧倒的な人気は
「細田長次郎写真集」
からの掲載写真でした。


 細田先生の写真は、私達の世代と同じですので一つひとつの作品が
全て幼い日々の想い出
を振りかえるものでした。
 戦後、何にもない時代に貧乏を気にすることなく生き抜いた時代が懐かしく勇気を
たくさん頂きました。
 
 高校を卒業して50年間働きました。その内の25年間は単身赴任でした。
両親の先祖の通で
弁当持参の「くじら資料館」勤務は日々楽しくやりがいがあり、天職だと
取り組んできました。

 最期のページで健康状態を含めて記載した記事に、妻から必要ないと言われ、
納得できましので5年間の想いをこのようにまとめました。

 いつも「くじら資料館だより」作成の際は、妻が校正担当でした。
 それも来月から不要になります。

 私の、「くじら資料館だより」の写真は、大好きな通浦の海を清掃している写真
を掲載しました。
児童・生徒たちが通浦に来て、海岸で遊んでいる姿に海の無限の魅力を
再認識いたしました。
「くじら資料館」から、30秒で海を眺めることのできる嬉しさは格別でした。
 
 「長門市くじら資料館長ブログ」は3月31日で終了し、更新をいたしません。
長い間、私のブログをアクセスしていただきありがとうございます。
 毎日200人近い人からアクセスをしていただきました。
いろいろな場面で激励のコメント等をいただきありがとうございました。
 4月1日からは、「
みすゞさんの心の故郷 青海島」のブログを立ち上げますので、
できましたら引き続きアクセスをお願い申し上げます。

 本当にお世話になりました。ありがとうございます。



                       みすゞさんの詩


                          竹とんぼ


                          キリリ、キリリ、竹とんぼ、
                       あがれ、あがれ、竹とんぼ。

                       二階の屋根よりまだ高く、
                       一本杉よりまだ高く、
                       かつらぎ山よりまだ高く。

                       私のけずった竹とんぼ、
                       私のかわりに飛びあがれ。

                       キリリ、キリリ、竹とんぼ、
                       あがれ、あがれ、竹とんぼ。

                       お山の煙よりまだ高く、
                       ひばりの唄よりまだ高く、
                       かすんだお空をつき抜けろ。

                       けれどもきっと忘れずに、
                       ここの小みちへ下りてこい。


                                (詩はJULA出版局より)

 
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2009年03月27日

川尻捕鯨絵図の作者判明(NO.7)

川尻漁協(21,1,26) 010.jpg 平成21年1月26日(月)に午後から山口県漁協川尻支店に掲出されている「古式捕鯨絵図」の写真を川尻支店の運営委員長の田浦尚美氏の協力で写真にしました。しかし、額縁の硝子は外の風景も写っていた。
 できるだけ正確な「古式捕鯨絵図」の写真を撮りたいので、1月29日(木)に再度川尻支店に伺い再度田浦氏にお願いし、絵図を額縁から一旦出していただき写真にしました。

 絵図の裏側に作者名が記載してあるかを確かめたいと思いましたが、残念ながら名前は記載してありませんでした。

川尻漁協(21,1,26) 040.jpg川尻漁協(21,1,26) 035.jpg 6枚の額縁の内、2枚の額縁はもくねじがしてありました。田浦氏は、それらの額縁まで写真が撮りやすいようにしていただきました。今回、「古式捕鯨絵図」が確実に写真にできたのは、田浦氏の協力のおかげです。
 この写真の撮影から、次への発展に繋がっていきました。そして、作者や作成の理由が明確にわかりました。

川尻漁協(21,1,29) 008.jpg川尻漁協(21,1,29) 004.jpg 「川尻捕鯨絵図」の作者探しの過程で目に見えない不思議ご縁をいただいています。そして、皆さんが夫々の役割でご協力をいただきました。
 田浦尚美氏は、河野良輔先生が「長州・北浦捕鯨のあらまし」の本の作成で、田浦尚美氏との初めての出会いがあり、「長門大津くじら食文化を継承する会」の理事として、協力していただきました。


川尻漁協(21,1,29) 012.jpg川尻漁協(21,1,29) 033.jpg
川尻中学校の「くじら資料室」に寄贈された「川尻古式捕鯨図」で坂倉菊蔵氏が川尻中学校長の中原白道氏の求めに応じたものです。
 




川尻漁協(21,1,29) 034.jpg川尻漁協(21,1,29) 042.jpg
 山口県漁協川尻支店に寄贈された「川尻古式捕鯨図」です。                                                                   



川尻漁協(21,1,29) 050.jpg川尻ブログ225.jpg






 写真撮りに協力いただいた田浦尚美氏、「長州・北浦捕鯨のあらまし」の本を作成した際に、協力いただいた田浦氏と著者の河野良輔先生です。



                    みすゞさんの詩



                    竹とんぼ




                    キリリ、キリリ、竹とんぼ、
                    あがれ、あがれ、竹とんぼ。

                    二階の屋根よりまだ高く、
                    一本杉よりまだ高く、
                    かつらぎ山よりまだ高く。

                    私のけずった竹とんぼ、
                    私のかわりに飛びあがれ。

                    キリリ、キリリ、竹とんぼ、
                    あがれ、あがれ、竹とんぼ。

                    お山の煙よりまだ高く、
                    ひばりの唄よりまだ高く、
                    かすんだお空をつき抜けろ。

                    けれどもきっと忘れずに、
                    ここの小みちへ下りてこい。

(詩はJULA出版局より)
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2009年03月26日

大分県に行きました。(NO.6)

大分(21,03,08) 234.jpg大分(21,03,08) 188.jpg臼杵120.jpg









 平成21年3月9日(月)岡本屋旅館から臼杵石仏群を見て、臼杵城に行きました。臼杵城は始めての見学でした。




  豊後臼杵城は、大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城し、それぞれの大友氏代々の居城、府内城からこの城に移った。
 天正6年(1578)日向耳川の合戦で島津氏に敗れて以来大友氏の勢力は衰退しついに天正14年(1586)にこの臼杵城も落城しました。
 慶長5年(1600)に稲葉貞通氏が美濃郡上八幡から5万石で入府した。稲葉貞通、典通父子は2代にわたって臼杵城を修築している。稲葉氏が14代にわたって代々続いて明治にいたった。

大分(21,03,08) 203.jpg大分(21,03,08) 192.jpg大分(21,03,08) 197.jpg







 遺構―曲輪、現在櫓2基、石垣、空堀、堀
 形式―平山城(海城)
 築城年代―永禄5年(1562)
 名称―豊後臼杵城


大分(21,03,08) 204.jpg大分(21,03,08) 206.jpg大分(21,03,08) 212.jpg







 真ん中は、大友宗麟像です。
大分(21,03,08) 213.jpg大分(21,03,08) 215.jpg大分(21,03,08) 226.jpg







 「雪隠」という文字に、思わずシャッターを押しました。
大分(21,03,08) 229.jpg大分(21,03,08) 227.jpg大分(21,03,08) 228.jpg







 稲葉家邸宅―城下町の静かな雰囲気が伝わっています。

大分(21,03,08) 235.jpg大分(21,03,08) 230.jpg大分(21,03,08) 232.jpg







 初めて訪れた臼杵城、ゆっくり再び訪れたい所です。


                    みすゞさんの詩




                    巡礼と花





                    お通りよ、
                    お通りよ。

                    巡礼の子はゆきません。

                    花屋の店です、
                    春の日の。

                    お通りよ、   
                    お通りよ。

                    巡礼の子は名も知らぬ、
                    西洋花をみています。

                    唄もうたわず、
                    息つめて。


(詩はJULA出版局より)
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川尻捕鯨絵図の作者判明(N.6)

捕鯨とくじら食文化を守る長門市議会議員連盟(長門くじら議連)発足式へのメッセージ

  

通浦の風景(20,11,27) 013.jpg このたび、日本有数の伝統捕鯨の地・長門市におきまして「捕鯨とくじら食文化を守る長門市議会議員連盟」が設立され、本日発足の式を迎えられましたことはまことに喜ばしく、心よりお祝いを申し上げます。

(向岸寺) 

 
 長門市と私ども日本鯨類研究所とのご縁と言うこと通浦の風景(20,11,27) 012.jpgでは、2002年の第1回日本伝統捕鯨地域サミット開催が忘れることができないものです。長門市、そして長門市民の皆様のお力添えにより大盛況のうちに終了した第1回サミットは、その後も日本中の、捕鯨文化に理解ある方々の手厚い支援を賜り、2006年の第5回

(七観音像のお墓)

まで開催することができました。さらに現在はその流れを引き継ぐかたちで、捕鯨を守る全国自治体連絡協議会による鯨フォーラムが開催されております。それもこれも第1回サミットの成功なしにはあり得なかったことでしょう。改めて、長門市、そして長門市民の皆様に厚くお礼申し上げます。

 

通浦の風景(20,11,27) 010.jpg また現在、くじら資料館が所蔵する「川尻捕鯨絵図」も私どもと長門市のご縁を強く感じさせるものです。長らくこの絵図をお預かりしていた私どもは、去る6月、この絵図を長門市にお渡しすることができました。南アフリカの元の所有者の希望をよう

(鯨鯢漁鱗群霊地蔵尊)

やく実現できたことに安堵するとともに、この絵図が他ならぬ長門の地に里帰りを果たすお手伝いをできたことを大変うれしく思っております。

 

通浦の風景(20,11,27) 008.jpg さて長門と捕鯨、くじらの関わりを考えますと、私は捕鯨文化のもつ力強さと豊かさを感じないではおられません。周知のように、長門は高度に組織化された鯨組の本拠地であり、捕鯨文化が花開いた地でもあります。向岸寺の鯨墓や鯨の過去帖には、勇壮な勇魚捕り達の自然に対する謙虚さが表されています。また通の鯨唄が手拍子ではなく揉み手で調子を取るのは、捕らえられた鯨の死を

(讃譽上人のお墓)

悼むために賑々しい手拍子を避けているのだと聞いております。これは長門の、そして日本の捕鯨文化の奥深さ、勇魚捕り達の心の豊かさを示すものです。

 

通浦の風景(20,11,27) 004.jpg 現在のように、人間が繁栄を謳歌する一方で、自然環境や他の生き物の保存、時に人間自身の存続さえも脅していることへの危機が叫ばれる時代にあって、この長門の勇魚捕り達の心に私たちは学ぶべきことが多いと言わざるを得ません。ですから、鯨供

(通浦の夕日)

養が絶えることなく営まれ、通鯨唄を歌い継ぐ若い世代が育っているように、勇魚捕り達の文化が今も長門において生き生きと息づいていることには、素直に心を動かされます。こうした豊かな文化を受け継ぎ、さらに未来に伝えようとしている市民の皆様に対しまして、格別の敬意を表したいと思います。そしてこのような捕鯨文化とそれを受け継いでいる人たちの暮らしや活動を、日本国内はもちろん、広く世界の多くの人びとに知っていただきたいと強く願うものです。その意味から、私といたしましては「長門くじら議連」の活躍にたいへん大きな期待を寄せているところです。

 

通浦の風景(20,11,27) 005.jpg 「長門くじら議連」の今後のご発展・ご活躍を心より祈念いたします。

平成20年11月20日

財団法人日本鯨類研究所

理事長 森本 稔

 

(くじら資料館)


捕鯨とくじら食文化を守る長門市議員会議員連盟

会長 西岡 晴美 殿

※本日のブログは、平成210年11月26日、及び11月29日に掲載していますが、今回の「川尻捕鯨絵図」の作者判明の流れとして掲載しています。

捕鯨とくじら食文化を守る長門市議会議員連盟

                   設 立 趣 意 書 
小松正之先生(20,11,21) 001.jpg かつて、日本海には冬になると多くのくじらが姿を現し、ここ北浦地域ではそのくじらを捕獲して栄えた時代がありました。中でも長門通浦や川尻浦は北浦捕鯨の基地として、「一頭獲れば七浦賑わう」と

 (小松博士)

言われたような繁栄をもたらしましたが、浦人たちは犠牲となったくじらたちへの感謝や哀れみの情、そして畏敬の念を忘れることなく、「鯨墓」、「鯨位牌」、「鯨鯢過去帖」での供養を営んで参りました。以来四世紀に渉って今に受け継がれている鯨回向(鯨法要)とこれらの文化遺産は、くじらと日本人との深い結びつきと、日本の捕鯨とくじら食文化の原点を世界に発信するものとして、私たち長門市民が誇りに思うものであります。
 
小松正之先生(20,11,21) 003.jpg さて、IWCによるモラトリアムが施行されて久しいものがあります。そして今日、くじら過剰保護による海洋生態系の変容、くじらの捕食による魚資源の激減や、くじらと航行船舶との衝突事故など、くじらに係る深刻な問題が危惧されております。

 (総会)
 
また「科学的調査に基づくくじら資源の適正保護管小松正之先生(20,11,21) 011.jpg理」を目指すはずのIWCはその役割を果たしえず、もはや本来の存在理由を失いかけている状況であり、加えて昨今、我が国の捕鯨調査船を巡って、一部の「環境団体」と言われるグループが執拗な妨害活動を繰り返す事態も発生しております。

(川尻捕鯨図前で)
小松正之先生(20,11,21) 010.jpg 調査活動さえ認めないようなやり方は、決して容認できるものではありません。
「くじら問題は人間と海・自然との共存の問題であり、異文化の尊重と共存、相互理解の問題であり、正しいことを正しいと主張する国民や国の姿勢の問題であり、年月をかけ

(くじら資料館内)

て客観的事実を蓄積する努力を継続できるか否かの問題であり、さらに自らの主張を国際社会に浸透させるための努力と技能の問題である」(小松正之氏)と言われております。
私たちは、近世の捕鯨基地・長門市通をはじめとした捕鯨文化遺産や、長門市が日本の近代ノルウェー式捕鯨の発祥地であったことなど誇りを持って受け継ぐと共に、捕鯨とくじら食文化への国際的理解促進が緊喫の課題であることを踏まえ、他の諸組織との連携を深める中で、捕鯨に関する国際的理解を促進し、持続的捕鯨が再開されることを期するとともに、先人が築いてきたくじら食文化の継承・発展を図ることを通じて、長門市の活性化に寄与することを目的として「捕鯨とくじら食文化を守る長門市議会議員連盟」を設立するものであります。 
                                           平成二十年九月吉日
                                       長門市議会議員一同
     

   みすゞさんの詩


鯨捕り



   海の鳴る夜は
  冬の夜は、
   栗を焼き焼き
   聴きました。

         むかし、むかしの鯨捕り、
        ここのこの海、紫津が浦。

       海は荒海、時季は冬、
      風に狂うは雪の花、
       雪と飛び交う銛の縄。

       岩も礫もむらしきの、
        常は水さえむらさきの、
        岸さえ朱に染むという。

        厚いどてらの重ね着で、
       舟の舳に見て立って、
       鯨弱ればたちまちに、
          ぱっと脱ぎすてすて素っ裸、
         さかまく波におどり込み、
          むかし、むかしの漁夫たち―
   きいてる胸も
   おどります。

        いまは鯨はもう寄らぬ、
        浦は貧乏になりました。

    海は鳴ります。
  冬の夜を、
     おはなしすむと、
   気がつくと―



(詩はJULA出版局より)
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